聖書の原典と翻訳の話

1.
      聖書原典の底本を決定する 「本文批評」 という学問の分野があって、旧約聖書に関しては、通常18世紀の学者たちに始まる聖書本文の客観的研究のことを言います。 それは教会の教義や因習にとらわれない自由な学問的解釈を目指すもので、それによって、恣意的に読み替えられたりしない本来の聖書本文を追求しました。 同様に新約聖書に関しても、「本文批評」 という呼称はやはり、より元来の形に近い本文を決定するための学問を指して用いられています。
      過去半世紀ほどの間に、全世界で共通に用いられる聖書原典の底本が、ほぼ完成されるに至りました。 今や学問の世界もグローバル化して、もはや聖書の母国語化に際して翻訳者が、かつてのように、各自に原典本文の選別と校訂から始める時代ではなくなったのです。
      ですから、たとえば我が国の 「文語訳」 「口語訳」 「新共同訳」 は、それらが翻訳された当時の底本の違いを反映しています。 同じ現代の翻訳である 「新共同訳」 と 「フランシスコ会訳」 を比較してみると分かるように、底本が同じであると翻訳もほぼ同列であって、根本的に対立したり相反したりするようなことはありません。
      ほんの少しだけギリシア語やヘブライ語が読める ・・・ レベルの人たちの中には、翻訳の違いを極端に誇張してみたり、さらには 「これは誤訳だ」 などと、さも偉そうに言う輩がいるものです。 しかし、それはいわば本人の無知無学をさらけ出しているだけのことで、そんな人の話は毒にはなっても薬にはなりません。
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2.
      私が神学校で学ぶようになり、やがて 「ギリシア語入門」 を受講する学年になって間もなく、仲間の学生の中にこんなことを言う人が出て来ました。 「俺はギリシア語が優秀だから、これで聖書のことはみんな分かってしまった。辞書と原典一冊を持っていれば、これからは鬼に金棒だ。」
      実は何年も後になって、徐々に分かって来たのですが、同窓の仲間の多くが(語学の不得手な学生も含めて)、ほとんどこれと同じような理解から一歩も出ずに、「ときたま原典を参照したりする説教者」 になっていました。
      聖書写本の言語は、それが死語になってからでも、すでに千八百年あるいはそれ以上も昔の言葉であって、その背景となる文化も思考方法も現代とは大いに違っているのです。 そのような背景や神学的思考について十分に学ばなければ、ただギリシア語やヘブライ語が読めるだけでは、聖書に関しては私たちはただの Alien(異星人) でしかありません。

3.
      説教の中で、このテキストはこう訳し変えた方が 「よく分かる」 とか 「実感がわく」 などと言って、まるで現代の日本語聖書の翻訳者たちが無能であり、自分がさも有能であるかのように振る舞って見せる牧師や司祭がいます。 また、この2ちゃんねるで大いに論陣を張っている面々の多くも、しばしば従来のキリスト教解釈に対抗して、まるで自分が考え出した論理の方が遙かに正しいかのような主張をしています。
      そんな連中が、もし原始教会の時代にワープして、当時の人々にその主張を直接語ったとしたら、恐らく次のような反応に出会うに違いありません。
      「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。 奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」(使17:19f)
      神学の世界では 「本文批評」 によって得られた底本を元にして、聖書の文学的・批評的研究(高層批評)が積み上げられ、私たちは通常その成果を聖書神学の書物や注解書で学ぶことが出来ます。
      各国の聖書翻訳者たちというのは、一般の信者(私も含めて)とは比べものにならないほどレベルの高い方々であって、そのような神学的成果の数々を十分に取り入れることによって仕事を進めているのです。 ですから、たとえば同じ単語や言い回しが聖書の違う場所では別の現代語に翻訳されたりもします。 決してただ外国語(ギリシア語やヘブライ語)を日本語や英語に “変換” するような単純な仕事をしているのではありません。
      そのようなわけで、しっかり日本語聖書の素読に励んでいると、やがて福音の理解と共に、彼らへの尊敬と信頼も生まれてくるものです。

4.
      「聖書を本格的に勉強したことのない人は、ヘブライ語やギリシア語を習得しなければ、聖書を本当に理解することは出来ないなどと思ったりします。 でも実際に学習してみると、それは聖書の勉強に必要なたくさんの手段のほんの一つでしかないことが分かります。」  (●小論集● の中の ★聖書と言語★ から引用。)
      率直に言って、ヘブライ語やギリシア語の学習は、本格的な神学書や聖書注解書を読むための手段であって、それだけではほとんど何の役にも立たちません。 近年は、学問のほとんどあらゆる分野で、英語だけで十分学習出来る時代になりました。 ラテン語も、フランス語も、ドイツ語も知らなくても、英語さえ読めればかなりのレベルまで行くことが出来ます。 役に立つ順位から言うと、ヘブライ語やギリシア語はその次なのです。 この順序が分かっていない人が多いので、トンチンカンなキリスト教論議が2ちゃんねるにも蔓延しているというわけです。

      旧約聖書の原典(BHS)を online で閲覧、または pdfファイル でダウンロード出来るウェブ・サイト を紹介します。

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