カトリック教会の典礼暦

1.
      日本のカトリック教会で使われている祭壇用のミサ典礼書の中から、 「ローマ・ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則」 という文書だけが別冊で刊行されたのは、1980年のことだったと思います。
      ●小論集● の中の ★「ミサを祝う」 紹介★ を参照。
      その中に書かれている 「典礼暦年」 に関するたった10ページ程の解説は、あまりにもあっさりしていて拍子抜けするような、しかし何かほっとするような明確さをもって、基本線を述べていました。
      これまでプロテスタント教会で 「教会暦」 と呼んでいた名称が、そこでは 「典礼暦」 となっていました。 つまりそれは、教会の伝統によれば基本的に、ミサ典礼(礼拝)の暦すなわち説教および聖餐に関する暦であることを、私は知ったのでした。 “クリスマスだからクリスマスに関係した説教をする” のではなくて、“主の降誕の説教をするから教会はクリスマスになる” のです。
      「聖なる教会は、一年を通して、一定の日に、キリストの救いのわざを想起して、これを祝う。 ・・・・・ 教会は一年を周期としてキリストの神秘全体を展開し、・・・・・ 」(第一章)

2.
      私が経験してきたところでは、一般にプロテスタントの教会で、日曜日(主日とも呼ぶ)というものをどう理解するのかに関しては、非常に主観的な議論しかなされて来なかったように見えます。 なぜ日曜日なのか、旧約聖書の安息日とキリスト教の日曜日の関係は ・・・ などに、はっきりした答えを誰も与えてくれないというのが、実状なのです。
      セブンスデー・アドベンチスト教会 という教派では、日曜日ではなくて土曜日に礼拝を守っています。 伝統的なキリスト教にとっては異質ではありますが、だからといって 「それは間違っている」 という、納得がいくような反論を私は聞いたことがありません。
      日曜日の守り方についても、通常は午前中に礼拝があって、これへの出席を守ればよいということなのか、それともこの日は聖日なのだから、まる一日を神奉仕に捧げなければいけないのか、教派やまた牧師ごとに説明がバラバラなのです。 何を根拠にして考えたらいいのか、それがはっきりしないから、みんなバラバラな主張をしているというのがプロテスタント教会の実態であると言ってよいでしょう。
      このようなプロテスタント教会における “あいまいさ” は、その他にもかなりいろいろな点で指摘出来ます。 礼拝とはいったい何なのか ? 説教とは ? 賛美とは ? 祈りとは ? そ」して献金とは何なのか ?
      このような問題は、信者の集まりにせよ、牧師たちの集まりにせよ、そこでみんなで考えれば答えが出てくるという性質のものではありません。 たとえ専門の神学者たちであっても、“私はこう考える” “このように考えることが出来る” と言い得るのみです。 ただそれぞれの教派や教会では、“このように理解して来た” “このように行って来た” と言って、その伝統に従うということは可能です。
      いずれにせよ現状では、しばしばあまりにも得手勝手な解釈や主張が行われて、(健全な意味で)「教会を造り上げる」(Iコリ14:4,5,12,26、エフェ4:12) のに役立つよりも、道を誤ることのほうが多いように見受けられます。 そのような迷路から脱出する光を私に与えてくれたのが、カトリック教会の典礼暦と典礼理解でありました。

3.
      「ローマ・ミサ典礼書の総則と典礼暦年の一般原則」 は、キリスト者と教会にとって “一年の毎日が典礼日” という理解を、その説明の基礎にしています。 そしてこれを 「主日」 「祭日、祝日、記念日」 「週日」 の三種類に分けて説明しています。
 主日 : 毎週の初めの日は、主の日、または主日と呼ばれるが、その日に教会は、キリストの復活の当日にまでさかのぼる使徒伝承により、過越の神秘を祝う。 このため主日は、根源の祝日としなければならない。 主日の祭儀は、独特の重要性をもち、祭日と主の祝日だけがこれに優先する。
 祭日、祝日、記念日 : ・・・・・ 最大の祭日である復活と降誕の祭儀は、八日間続けて行われる。 この二つの八日間の祭儀は、それぞれの規定に従って行われる。 ・・・・・
 週日 : 主日のあとの一週間の日々は、週日と呼ばれる。
      これらすべては、教会の長い歴史を通して受け継がれ育てられてきた慣習や伝統を継承する説明であって、いわゆるバチカン(使徒座)が “新しく勝手に決めた” というような性質のものではありません。
      典礼暦の説明が、一年間を暦の順番に解説するのではなくて、復活祭が先でその後に四旬節が、クリスマスが先でその後に待降節が説明されているのは、重要なことです。 なぜなら典礼暦は、そのような典礼の頂点に向かって、その一年が構成されているからです。
      ニグレンの著書で読んだ、「このキリスト教暦を作るのに、各時代が貢献して来た。 それは多くの時代の働きによってなされた尊い芸術品である」 という記述が、そこには息吹いているのです。
      たいへん残念なことに現実には、ルーテル教会の牧師たちも、カトリック教会の司祭たちも、ほとんどがこのような典礼暦の意味を知っていない !! のです。 私はこれまで、典礼暦に沿った主日の説教というものを、ミサにおいても、雑誌や機関誌に掲載されたものででも、ほとんど全く聞いたことがありませんでした。
      しかし少なくともカトリック教会には、このような “公式な解説” というものが存在しているということに、私は限りない主の恵みと導きを覚えて感謝しています。  “主は、現代の教会を、決して見捨ててはおられない !! ” と。

4.
      世間で一般に、たいへん大雑把に復活祭と呼んでいるものを、カトリック教会は 「過越の三日間」 として守ります。
 過越の三日間 : キリストは人間に贖いをもたらし、神に完全な栄光を帰するわざを、とりわけその過越の神秘によって成就され、ご自分の死をもってわたしたちの死を打ち砕き、復活をもってわたしたちに命をお与えになった。 このため、主の受難と復活からなる過越の聖なる三日間は、全典礼暦年の頂点として輝きを放っている。 したがって、一週間の中で主日が占めている最高位を、復活の祭日は典礼暦年の中で占めているわけである。 主の受難と復活とからなる過越の三日間は、主の晩餐の夕べのミサに始まり、その中心を復活徹夜際におき、復活の主日の 「晩の祈り」 で閉じる。
      我が国の現代のカトリック教会では、今や 「復活徹夜際」 とは名ばかりで、信者の利便のためにこれを前日の晩に済ませてしまうのが一般的になっているようです。
 復活節 : 復活の主日から聖霊降臨の主日に至るまでの50日間は、一つの祝日として、また、より適切には 「大いなる主日」 として、歓喜に満ちて祝われる。 「アレルヤ」 がとくに歌われるのは、この季節である。 復活節の最初の八日間は、「主の復活の八日間」 と呼ばれ、主の祭日のように祝われる。 復活後40日目には、主の昇天を祝う。
      普通の信者だけではなくて、司祭たちや牧師たちの多くも、「復活祭」 と 「復活節」 という呼称の区別や使い方があやふやであるばかりでなく、その祝いの意味を正しく捉えているのかどうか、心細いというのが実感です。
      G.Aulen が Christus Victor で解析して結論づけたたように、教会は古くからそれを、“キリストの罪と死と悪魔への勝利” の祭典として祝って来たのです。 しかし近代人が、“罪と死と悪魔” という表象を非科学的な、古い時代の低レベルの思考であるとして退けたことの後遺症に、現代の教会は今も影響されて、復活祭の使信であるキリストの “勝利の福音” が見えにくくなっています。

5.
 四旬節 : 四旬節は、復活の祭儀を準備するために設けられている。 四旬節の典礼によって、洗礼志願者はキリスト教入信の諸段階を通して、また、信者はすでに受けた洗礼の記念と償いのわざを通して、過越の神秘の祭儀に備えるのである。
 四旬節は、灰の水曜日に始まり、主の晩餐の夕べのミサの前まで続く。
 四旬節の初めから復活徹夜際まで 「アレルヤ」 は唱えない。
 四旬節の主日は、四旬節第一、第二、第三、第四、第五と呼ぶ。 聖週間の始まる第六の主日は、「受難の主日(枝の主日)」 という。
      この、過越の神秘の祭儀、復活の祭儀に備えるということは、決して何かの発表会の本番に向かってリハーサルを繰り返すというような、行事の準備という意味で捉えてはなりません。
      そうではなくて、四旬節には四旬節独自の役割があることを理解する必要があります。 それは、旧新約聖書を貫いて語られている救済史の証言を、私たちの救い主キリストの受難と復活・昇天、さらには再臨を頂点とする 「福音」 として聞き、学び、理解するということです。

6.
 降誕節 : 例年の過越の神秘の祭儀に次いで教会が行ってきた最古の祭儀は、主の降誕の記念と、主の初期の公現の追憶である。 これは、降誕節中に行われる。 降誕節は、主の降誕の 「前晩の祈り」 に始まり、主の公現後、すなわち、1月6日の直後の主日まで続く。
 主の降誕は固有の八日間をもち、八日間中の主日、またはこの主日がないときには12月30日は、聖家族の祝日。 降誕の八日目に当たる1月1日は、神の母聖マリアの祭日。 この日には、イエスの聖なる名前の命名をも合わせて記念する。
 主の公現は1月6日に祝う。(日本では、1月2日から8日の間に来る主日に移される)
 1月6日の直後に来る主日は、主の洗礼の祝日となる。
      我が国では、カトリック教会の現場においてさえ、このような降誕節の定義がほとんど理解されておらず、たいてい12月25日あるいはその直後の主日のミサが終わると、信徒たち有志の奉仕によってクリスマスの飾りが片付けられてしまいます。
      世間ではさらに早く、12月24日のクリスマスイヴが終わると、クリスマスの飾りをしていた家でさえそれを翌朝には片付けて、門松を飾ります。 12月25日は、売れ残ったクリスマスケーキの大安売りが行われる日なのです。

7.
 待降節 : 待降節は二重の特質を持つ。 それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。
 待降節は、11月30日、もしくは、それに近い主日の 「前晩の祈り」 に始まり、主の降誕の 「前晩の祈り」 の前に終了する。
 年 間 : 固有の特質を備えた諸節を除く、残る期間を、「年間」 という名で呼びます。 この期間、とりわけ主日には、キリストの神秘全体を追憶します。
      以上が、カトリック教会の 「典礼暦年に関する一般原則」 から抜粋した主要点です。 たいへんあっさりした解説であって、いわば最低限の基本線だけを記述しているものなのです。 ですから、この典礼暦を生かすも殺すも、それは事実上、現場の司教と司祭の裁量に任されていることになります。
      典礼暦は毎年、待降節第一主日から新しい一年が始まります。

目次へ =>