主日のミサの朗読配分

1.
      第二バチカン公会議で最初に公布された(1963年12月)文書は、典礼憲章でした。
      「典礼は教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉である。」(10)
      「母なる教会は、すべての信者が、十全に、意識的かつ行動的に典礼祭儀に参加するよう導かれることを切に望んでいる。」(14)
      この意図を実際に活かすために、カトリック教会は新しい 「ミサで用いる聖書朗読配分」 を作成して、1969年11月の待降節第一主日から使い始めました。 それは 「多くの人の協力によって繰り返し検討され、磨き上げられた共同作業の実りである」(朗読聖書の緒言 58) と報告されている見事な聖書日課表であって、その後世界中のルター派や聖公会の教会によっても、部分的な修正がなされただけで採用されるようになりました。
      カトリック教会ではこれを正式には 「ミサの朗読配分」 と呼んでいます。
      キリスト者にとっては聖書を読み学ぶということは、ミサ典礼(礼拝)に有効に参加するという目的から切り離すことの出来ない行為なのです。 なぜなら、「ミサの祭儀は、全教会にとっても、地方教会にとっても、また信者一人ひとりにとっても、キリスト者の生活全体の中心である」(ミサ総則 1) からです。
      信者ではない一般の人が、学問として、教養として、聖書を読んだり研究したりするのとは、その目的が根本的に違うということを ・・・ 善悪の問題としてではなくて ・・・ よく承知しておきましょう。

2.
      新しい 「主日のミサの朗読配分」で、待降節の福音朗読は次のようになっています。
 第一主日 : 時の終わりにおける主の来臨。
 第二と第三主日 : 洗礼者ヨハネ。
 第四主日 : 主の降誕の直前の準備となった出来事。
      教会の古くからの伝統的日課では、以前は待降節第一主日の福音は マタ21:1-9 が永らく使われていました。 誰もが知っているように、これは福音書の物語りの順序から言えば、受難の主日(枝の主日)に属する箇所です。
      歴史の教会は福音書のこの箇所で、キリスト者は福音の終末的使信の 「今」 という性格に直面するのだという、ひときわ神学的な理解を主張して来たのです。 神の民は今や、神の国の王であるメシアの到来を、歓呼して迎えるのです。
      「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。」 「夜は更け、日は近づいた。」(ロマ13:11f)
      典礼暦を終始一貫している福音の終末的使信を、新しい朗読配分では福音書テキストの選択に手を加えたとはいえ、いささかも減ずることはありませんでした。

3.
      待降節第二と第三主日の福音朗読は、洗礼者ヨハネに関連しています。
      「預言者イザヤの書にこう書いてある ・・・・・ そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」(マコ1:2,4)   預言は成就して、メシアの前に道を備える使者が現れました(マラ3:1、イザ470:3)。
      「差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。  ・・・・・ 斧は既に木の根元に置かれている。」(マタ3:7,9)
      来るべき終末の裁きは、 「我々の父はアブラハムだ」(マタ1:9)、つまり私は一人前のクリスチャンだというような、ただの肩書きや資格によって免除されたりはしない。
      「死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」(マタ11:5f)
      ここでは、「今おられ、かつておられ、やがて来られる」(黙1:8) キリストの、終末的未来の展望が取り上げられています。
      洗礼者ヨハネに関する福音のテキストは、実は来るべきメシアとしてのイエスに対する証言に他なりません。 洗礼者ヨハネは、自分よりも優れた方、彼の後から来られる方を指し示しているのです。

4.
      教会の中にある者たちの大部分が、キリストの福音の終末的意義を見失うことは、現代だけでなく過去においても多かったのです。 典礼暦による 「主日のミサの朗読配分 」 は、あたかもそのような風潮に反抗するように、終始一貫して福音の終末的使信によって教会の典礼を支配して来ました。

      キリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない週間が、一年に33ないし34週残り、この期間を 「年間」 という名で呼びます。
      この年間の最後の主日が 「王であるキリストの祭日」 で、その前の週が第33主日となるように数えるために、聖霊降臨後に来る年間主日が省略される年があります。 その理由は、「年間最後の二つの主日に終末に関する朗読配分を確保するため」 と説明されています。
      このように、典礼暦の最後の三主日の朗読配分は、終末と神の国の到来を主題としています。 教会がキリストの福音によって歩んでいるとは、どういうことであるかを思い起こすことは、この期節の恵みなのです。  「主イエス・キリストを身にまといなさい」(ロマ13:14) とは、このような終末的理解に基づく福音の使信なのです。

5.
 復活節の福音 :
      ヨハネによる福音書の13章から17章は、イエスの決別の説教になっています。 教会は早い頃から、ここで語っているのがこれから受難しようとしているイエスではなくて、すでに受難して復活したイエスであるということを洞察していました。
      そのことは伝統的ペリコーペで、復活節第四・五・六主日および聖霊降臨の主日のミサにおいて朗読される福音書のテキストが、すべてこの範囲の中から選ばれて来たことによって知られます。 カトリック教会の新しい 「主日のミサの朗読配分」 でも、それが第五・六主日、およびB・C年の聖霊降臨の主日で踏襲されました。

6.
 聖霊降臨祭の位置づけ :
      聖霊降臨の主日は、本来は復活節の後祭(締めくくりの祭日)であって、その翌日からは 「年間」 が始まります。 その翌主日を三位一体の祭日として祝うので、かつてはそれ以降の期間を 「三位一体節」 を呼んでいましたが、新しい典礼暦では降誕節後の期間と合わせて 「年間」 としました。
      聖霊降臨祭をその重大さの故に、プロテスタントの側には、三位一体祭と合わせて独立の祭にしようとする傾向が現在もあります。 しかしそうすることによって聖霊降臨の祭が、四旬節および復活節との結びつきから切り離されることを、新しい典礼暦は望まなかったようです。

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